EXCELのコメントは保護されたビューの状態だと(ぱっと見)見えない
この事象で見えるべき情報が見えていなかった事例が発生。
編集を有効にするを押しちゃえば見えるんだけど。
押さないでさっと見る場合はコメントなんてねーよって状態。
EXCELのコメントつかわないほうがいいな。
人の説得は難しいな
資料の修正事項について説得しようとしたが、
結果的には動いてくれているのだけど、方法としては下の下の手段でやってしまった。
ただただ、自分の意見のみを押し付けてやれ、と言ってしまった。
たぶん、納得せず、言われた通りにぶつくさいいながら資料修正をしているだろう。
言えばあっさり理解できると思ったんだけど、難しい!
人を説得するということの準備を甘く見てしまった。
言いたかったこと。
・資料に情報を詰め込みすぎるな。
・もっとわかりやすい表現にしてほしいこと。
言いたいことは言えた、納得したかどうかは別として。
行動として失敗したと考えられる事柄は、
失敗したこと。
・相手にちゃんと納得させきれずに指示した。
・資料をちゃんとみてなかった。
それぞれ、どうできたか。
>・相手にちゃんと納得させきれずに指示した。
=>自分の準備不足が原因。何が言いたいかをちゃんと整理して指摘する、ということができていない。
強い語気で言ってしまった。
説得できないで自分の意見を押し通そうとすると、こうなる。
これは大いに反省点、ちゃんと説得する準備が足りてない。
まず資料に多くの情報を詰め込むとわかりにくい、ということを理解させたかった。
先に資料を使って説明させてみて、その中で指摘していくスタイルがよかったかも。
今は説明したからわかったかもだけど、資料だけ渡されてこれがちゃんと理解できる?
という問いかけもできたかもしれない。
その上で、資料の作り方について指導したほうがすんなりいったんじゃなかろうか。
>・資料をちゃんとみてなかった。
⇒見難い資料をみて細かくみるのをやめてしまった
これはもう少しちゃんと見てあげれば、ってところもある、
「ちゃんと見ろよ」って言い分もあるだろう。
けど、わかりにくい資料で見落とした、という点もあるからどっちもどっち?
反省点としてどっちをとるか、
分かりにくい資料の時点でシャットアウトしているのが正しいか、
分かりにくい資料なりにちゃんと見てあげるべき
後者だともっとわかりやすくしないとみてもらえないということに気付けないのではないか、だから前者の判断でもよいのないかなと思う。
ただ、そのへんの気づきはどう与えることができるかは難しい。
作成した資料がやっつけにしか見えなかったんだが、
結果的に俺も説得して仕事をしてもらうということに対してやっつけでやっていた。
やっていることは本質的には変わらなかった。
もう少し仕事きっちりやろう。
自宅でのブックサーバ構築
先日何もないところで2日間待機するという苦行を味わい必要性を実感。
明日から着手する。
構築の内容についてはどこか別のところでアップ。
ここでアップしてもよいけど、あまり目につかないブログだしな。
モチベーションがなにより大事
なにかをはじめるにもなにかをつづけるにも、
モチベーションっていうものがなければできない
ふと、モチベーションとは何かを改めて考えてみる。
wikiによると
動機付け=モチベーション
行動の原因という表現もあり、行動を興すために必要な動機づけということらしい。
それはエネルギーともとれるのか、いや、少し違うな。
エネルギーは身体を動作させるために必要なリソースであって、
ある目的のために行動する際に必要になるものであって、
ある目的のために行動するという考えが向くところがモチベーションに因るところだ。
本能とかもかかわってくるところのような気がする。
仕事がはじまってしまったので、今日はここまで。
脳が認める勉強法
今まで勉強のしかたがうまくないなってもやもやしていたが。
たまたま本屋で出会ったこの本を読むとなにかつかめそう。
この本を読むと現在わかっている脳の、特に記憶に関するの仕組みについて、
さまざまな検証結果に基づいた考察が得られる。
インターリーブ法?だったかな、
これは特に実践方法を考えてみたい。
いままで反復学習が全てだと思っていたし、それが正しいと思っていたが、
ものごとを中断されることが刺激となり記憶に留まる。
中断されることで学習効果が伸びることを自覚できない、しかし、その後のテストを行うとその効果は顕著に表れる。
脳内のメカニズムは不明という前提ではあるので、
理屈などはわからないところも多いけど、もしかしたら短期間で学習効果を最大限に高めることができるかもしれない。
やってみる価値はありそうだ。
しかし、本は良いですね。
新しいことを知れて、新しいことをチャレンジするきっかけになる。
今後も本だけは投資を忘れないようにしよう。
コストをかけない図書館もわるくないんだけど、
なんだろうな自分で買った方がやっぱり効果を感じるんだよね。
人の批判はあまりすべきではない
表題の件、もちろんそうなのだけど、
やっぱりトラブルを起こされたり、当人と揉めたりすると、
もやもやしてしまい、それを当人が居ないところで、たまにポロリと。
単純にネタとして使ってしまっていた。
批判することに対して考えてみると
ある部分においては、自分の行動に問題もあったりするわけで。
自分も褒められない部分はたくさんある、
それなのに人の特定の部分をその人がいないところで批判はするべきではない。
きっかけは特に深い意味もなく話すネタがないから、
つい言ってしまった。
そういう行動も批判されるべき行動。
きっと自分にも帰ってくる。
しかし、思ったことをこうここになんで書いたのか。
自分にこういうことが帰ってくるのを恐れ、
免罪符として書いているつもりなんだろうか。
いや、反省として自戒したいがため、言葉にしたんだな。
今後はもう少し考えた行動をしよう。
人に否定されたくないでも、人に褒められたいでもない、
自分がなりたい自分になるためだ。